藤原模型店の紹介
2004年7月8日に開店しました、まだまだヨチヨチ歩きの店ですが今後ともよろしくお願いいたします。
商品の取り扱い
国産Nゲージ全般、完成品、キット、パーツ、レイアウト用品、KATOASSYパーツ、トミックスパーツなど。
直流2線式 国産16番(HO)KATO、トミックス、天賞堂、カツミ、エンドウ、ホビーモデルエコーモデル、日光、マッハ、篠原、福原、KSモデルなどの完成品、キット、パーツ、素材、線路など。
ROCO、バックマンなどの外国型も入荷できます。
車両の修理もほとんど当店でおこないます。その場か2、3日で修理いたします。N、16番
古い16番の車両のレストアの御相談に乗ります、まずは車両をお持ちください。
店主の趣味は16番の車両製作が主なので、金属、プラ、ペーパー工作の相談には喜んで乗りますのでぜひお越しください(造りかけ大いに歓迎)、実物資料も多く所蔵しておりますので(自宅に)御相談に乗ります。
委託品コーナーあります。御不要な模型、書籍などお持ちください(実物部品は除きます) 委託品コーナーへ
店主の紹介
藤原 弘達
時事放談で有名な政治評論家と同じ名前ですが読み方がちがいます、さてなんと読むのでしょうか?
196?年 山口県光市に生まれる、親戚に行く時に80系や153系、475系の電車に乗るのが楽しみでした。親戚の近くに踏切がありよく見に行っていました、また徳山の近鉄松下百貨店の屋上から徳山駅に出入りする列車をながめていました。近所に模型店がなく家も貧しかったので鉄道趣味にのめり込むのは遅かったです。紙でペーパークラフト的なものを作る程度でした。
中学2年の時カメラを買い新幹線開業直前の山陽線特急などを撮影するが
技術、知識、費用不足で不十分に終わる。
写真が不十分に終ったので模型で再現すればと鉄道模型の世界に入るがTMSは機芸出版社に定期購読するしかなくこれが先生、模型も近所にないのでカツミにカタログを通販、価格を見て驚きTMSのペーパー記事を見てペーパー車両製作の道に入る。ペーパーキットも高いのでケント紙で窓を抜いて作り始めた、車両はもちろん581系(無謀です)。初めて行った模型店は「エコーモデル」バジャーのガンのためです。カツミ、エコー、マッハなどの通販で材料を調達していました。
当然国鉄に就職、配属が保線区で落ち込んでいました。模型はプラ板で10系客車を製作していました。国鉄職員で運賃が無料に近いのでしだいに写真のほうにウエイトが掛かり「山陽本線のうらみを東北、上越新幹線でなくなる列車の写真を撮って晴らそう」とそちらの撮影に通う。模型は金が回らず休止状態。自分が「精勤」乗車証を発行できる事務掛になろうと試験に合格したら「国鉄叩き」で乗車証は大幅に縮小、事務掛で三次に転勤になり長い休暇も取れなくなり鉄道模型に戻る。
広島に転勤後、模型制作と写真の両方の生活。国鉄末期に「多能化」で念願の車掌になり 岡山から下関、可部、芸備、呉、岩徳、岩日に乗務する。
このころは「岡山模型」に通っていました。給料も上がって真鍮キットを買い始めました。
鉄道模型の趣味は会社にも知られよくイベントに動員されていました。JR1周年を目指して「広島駅に100円入れたら列車が走る物を作ったらいいじゃないか」との支社幹部の発言でレイアウトを作るはめに。その横で模型を販売する事になりそのまま模型店の店員になりました。
Nの特製品ばかり製作して自分の模型が数年留守でした。再開後は真鍮キット(荻原製作所系)で客車を製作。工作の主は真鍮キットになりましたが時々ペーパーを造りたくなることがあり代表作は広島駅の「ひかりレールスター」です。
模型店の店員の異動が激しく私が唯一の生き残り(飼い殺し)となりキヨスク移管後も出向でそのまま店員を続けてきました。
2004年1月に「3月末で出向を解除しJRに戻る」と上司から言われさんざん悩んだ挙句「今から戻って一から鉄道員をやり直すより16年続けた鉄道模型店の方が私の天職」と退職を決意。6月末にて退職。
自宅に光〜下松間、徳山駅のレイアウトを建設中だったが当分の間は本業に力を入れなければならずいつの事になるやら、車両も同じで581系485系はどうなった?。